柿の種味焼きそばカップラーメン
こんにちは、ミナミです。
今回は柿の種味焼きそばというカップ焼きそばについて食レポしたいと思います!
先日スーパーでたまたま見かけました。柿の種好きなので買ってみました...こういうの普段は挑戦しないんですけどね(-_-;)
それがこちら!
確かスーパーでは100円くらいで売ってました。
出来上がりがこちら!
まあ見た目は美味しそうには見えませんね!野菜も肉もない!
なんか柿の種を入れると美味しくなると書いてあったのですが...まあ買わせたいだけの気がしますが....Σ(・□・;)
柿の種が切らしていたので、ベビースターで代用しました!
こちら!
完食!
ちょっと辛いですね、具はほとんど入ってないですね、匂いは柿の種です。
ベビースターいれたら堅いのが混ざって食べずらかったです。
表紙に砕いて入れてくださいと書いてありましたね(;・∀・)
それでは、ミナミの評価に移ります!
ちなみに(最高5最低1平均3 平均はもう一回行っても良いと思うくらいです!)第1回の食レポを見てもらえればわかります!
ミナミの評価は・・・2.9です!
ちなみにベビースターを入れると
ミナミの評価は・・・2.0です!
理由:まあいたって普通でしたね、野菜が何も入っていない、見た目のインパクトしかない、とにかく普通。
宇宙太陽光発電が実現したら凄すぎる!3分解説
こんにちは、突然ですが皆さん、宇宙太陽光発電 通称SSPSて聞いたことありますか?
3分で簡単に解説したいと思います!
- 宇宙太陽光発電とは?
- 普通の太陽光発電とどう違うの?
- 実現するの?
宇宙太陽光発電とは?
宇宙太陽光発電は、宇宙空間に巨大な太陽電池を備えた衛星とマイクロ波送電アンテナを配置し、太陽光発電を行いマイクロ波の電気に変え、地球上に設置した受信アンテナへ送電する。
普通の太陽光発電とどう違うの?
太陽光発電に対する優位性として
- 雨天時や夜間に安定的に発電が可能
- 宇宙太陽光発電を静止軌道上に設置できると地球の影に入る春分の日、秋分の日を除く1年中24時間発電可能になる。
- 最大10倍の発電量が見込める。
- 耐用年数に関しては、平均寿命は約30年と考えられている。太陽光発電が17年と言われているので約2倍長持ちする。
実現するの?
実現のための問題点は沢山ある。
まず、マイクロ波技術に関して。
マイクロ波技術はすでに確立されているものの、正確に受電システムに送電できる技術はまだない。アメリカでは、砂漠に。土地の少ない日本では海上に設置が考えられている。また、マイクロ波が人体や生態系、その他に影響を与えないために透過率の高い状態での送信が必要である。
二つ目として、費用面の問題。
大規模なシステムとなるため何度も宇宙へ設備を輸送しないといけない。さらに、建設、運用・維持、廃棄などもある。低価格での宇宙への設備の大量輸送・建設を行えるようになる必要がある。
だが、研究を通して副産物的な応用技術の実用化にもつながる期待もある。
歴史としては
1968年にアメリカで初めて提唱され、第1次オイルショックを機に各国で研究が盛んにおこなわれた。しかし研究費用が莫大なため次第に下火になった。アメリカでは1977年にNASAが研究を開始、日本では1998年から今のJAXAが研究を始めた。そして、2000年から経済産業省主導で検討が始まり、2011年より京都大学を中心とした共同研究機関が実験施設を設置し、実証化実験を本格化している。政府が2015年1月に改訂した宇宙政策指針では2030年までの完成が計画されたが、現在のJAXAによると2045~2050年の完成を目指している。
<参照> JAXA http://www.kenkai.jaxa.jp/
日本のエネルギー自給率はめちゃくちゃ低いので、日本で成功したら凄いことになりますね!
第一次世界大戦開戦から終戦、そして第二次世界大戦勃発の原因までの流れをわかりやすく説明します!
こんにちは、今回は主に第二次世界大戦が起こってしまった原因を日本の視点ではなく世界の視点から説明したいと思います。大戦の流れも簡単にわかります!
それではまず初めにこの図を頭に入れてください!流れを捉えやすくするためです。
覚えましたかね?それでは解説に行きたいと思います。
まず結論から言いますと、第二次世界大戦が起こってしまった原因は第一次世界大戦後の条約において敗戦国ドイツに対する厳しすぎる不平等な条約を締結させたことが原因です。
それでは、第一次世界大戦開戦から見ていきましょう。
第一次世界大戦が終わるまでは簡単に書きたいと思います。
<第一次世界大戦開戦前>
1882年:三国同盟 ドイツ・オーストリア・イタリア →同盟国
1907年:三国協商 イギリス・フランス・ロシア →連合国
(イタリアは1915年に同盟国側に立った)
1914年:サラエボ事件 これは、オーストリアとセルビアがある領地をめぐって対立していたがオーストリアがその地(ボスニア)を併合したことで、セルビア人の青年が怒りオーストリア皇太子を暗殺した事件。→第一次世界大戦勃発の原因
すると、オーストリアはセルビアに宣戦布告。
ロシアはオーストリアに総動員令を出す。
ドイツがロシアに宣戦布告。
フランスがドイツに宣戦布告。
ドイツのベルギー進撃に対してイギリスがドイツに宣戦布告。
さっきの図の通りですね!
ちなみに日本は日英同盟を理由にドイツに宣戦布告。
アメリカは1917年のドイツの無制限潜水艦作戦によって自国の船員が被害を受けたことでドイツに宣戦布告をし参戦。
1918年 休戦協定により第一次世界大戦 終戦
<第一次世界大戦後>
1919年:パリ講和会議 ヴェルサイユ条約
ドイツに対して厳しい条約だった。賠償金・軍備制限・領土削減
賠償金に関して1921年の賠償委員会により1320億マルクの賠償額に決まった。しかし、戦後ドイツは苦しく労働者に賃金を払うため増刷を頻繁に行っていたそれによりハイパーインフレが起こり賠償金を払うことができなかった。フランスは違反とみなして、1923年フランス軍・ベルギー軍によってドイツのルール地方を占領した。最終的な賠償金額は1929年のヤング案の58年間で約358億マルクで決まった。
1925年:ロカルノ条約
独・英・仏・伊・ベルギーの五か国の多国間条約で集団安全保障。国境に関する取り決め、ラインラント軍備禁止
これはドイツが率先して結んだ条約でありドイツの国際協調がみられる。
<世界的な緊張緩和>
1926年:ドイツ国連加盟
1928年:パリ協定 不戦条約
戦争を違法化したが、防衛戦争は認められ、裁定機関の不在・制裁規定の不在など問題あり。
<崩壊>
1929年:世界恐慌
アメリカのニューディール政策、イギリスのブロック経済など各国の囲い込み政策により国際協調体制の崩壊
1933年:ドイツのヒトラーを首相とするナチス党政権発足
ドイツは経済的にきつかったところに世界恐慌が起こった。そこでナチ党(社会主義ドイツ労働者党)の失業政策など国民の最も関心のある政策であったため、ナチ党は急速に勢力を伸ばした。
1933年:ドイツ国連脱退
1934年:相互不可侵条約をポーランドと結ぶ
このとき、ポーランドはドイツに真っ先に狙われると考えられていた。それは、ドイツとポーランドの国境線が不自然だったからである。ポーランド回廊問題と呼ばれる。しかしその時のドイツには軍事力がなかったため、一旦条約を結び後で侵略しようと考えていた。
1935年:ドイツ再軍備宣言
これによる英・仏・伊の対策は
・ストレーザ戦線を敷く →西側への拡大阻止
・オーストリアの独立を保全する →東側への拡大阻止
これはロカルノ条約が有効であるという確認とドイツの拡大の阻止を目的とする。
その後、英独海軍協定が結ばれ、ストレーザ戦線は崩壊した。
1936年:ドイツのラインラント進駐
ドイツはロカルノ条約のラインラント非武装条項を破る
<オーストリア併合>
シュシュニック・ヒトラー会談によりヒトラーは
・ナチス政治犯の釈放
・ザイス・インクヴァルトの内相入閣
・経済の同調
をオーストリアに要求。
イタリアのムッソリーニの仲裁により受け入れられる。さらに追加で蔵相ポストも要求される。
ザイス・インクヴァルトはオーストリアの首相に就任しドイツ軍を派遣しオーストリア併合。
<チェコ・スロヴァキア解体>
ドイツはヴェルサイユ条約によりチェコ・スロヴァキアに移ったドイツ人も多く住むズデーデン地方をチェンバレン・ヒトラー会談で割譲を要求。割譲されなければ軍隊を派遣するとした。その後、ムッソリーニの仲介によりミュンヘン協定でズデーデン地方の即時割譲が決まる。また、チェコ・ソ連間の安全保障も破棄された。さらにヒトラーは領土的野心を持たないことを確約する。しかしドイツはズデーデン地方の割譲だけでなく全域を狙っていることを隠していた。
これらのドイツの行動を英・仏・伊は傍観していた。これはイギリスの伝統的政策である宥和政策によるものである。宥和政策とは侵略者に対して少しの犠牲や一定の譲歩によって相手を宥めることができ平和的に解決できるならその方が良いという考え方である。よって宥和政策は成功したかに思われたが、ドイツはズデーデン地方に侵入し、また、スロヴァキアの独立宣言によりドイツはスロヴァキアを保護領として、チェコ・スロヴァキアを解体した。
これらのドイツの勝手な行動に対してバーミンガム演説でチェンバレンはドイツを強く批判しまた、ポーランドを脅かすようなことがあれば軍事行動も辞さないとした。宥和政策修正の兆し
<ポーランド>
ヴェルサイユ条約によりドイツの領土にポーランド回廊が設定され、ダンツィヒという港町がポーランドの領土にされた。この地はドイツにとって重要な場所であったためドイツは狙った。
ヒトラーはポーランドとの不可侵条約・英独海軍協定を破棄した。
イギリスはポーランドと安全保障を結ぶ。
そして、ドイツは鋼鉄条約をイタリアと結ぶ。これはドイツ・イタリアが軍事援助・事前協議を相互に行うこととした。
さらに突然、独ソ不可侵条約を結ぶ。これに各国は衝撃を受けた。
そして、ドイツはポーランド戦に進もうとしたが、前日にイタリアが協力する気がないことを知る。英独交渉により開戦は延期された。ドイツはポーランド戦は電撃戦でないとダメだと思っていた。これはイギリスが参戦すると上手くいかないから。そして1939年9月1日ドイツ軍は宣戦布告なしにポーランドに侵攻。イギリス参戦